契約自由の限界

友人の間で交わされるゲームソフトの貸し借りの約束は、一つの契約となる。そこに、我々は当事者が任意の内容を取り決めうる原則、すなわち契約自由の原則を見出す。しかし同時に、その自由は無制約ではなく、借りた側はソフトを故意に破損させてはならず、貸した側は約束の期日前に一方的な返還を要求しえない。この自明に見える制約の構造を分析することで、我々は近代私法の基本原則およびその限界をめぐる、より根源的な問いを考察することになる。

契約自由の原則に対する制約を、大きく二つの位相に分けて考察する。契約関係の外部から課される外在的制約、そして契約関係そのものの中から生じる内在的制約である。

まず、外在的制約について述べる。これは物理的制約および法律的制約に分かれる。 物理的制約に関し、従来、解釈者は契約締結前に目的物が滅失した場合(原始的不能)を無効としてきたが、近時、研究者は、不能という物理的事実そのものが直ちに契約の効力を左右するのではなく、そのリスクを当事者が合意によってどう分配したか、あるいはどう分配すべきか、という規範的な問題として捉え直す視点を提示する。この立場に立てば、原始的不能であっても契約は当然には無効とならず、履行利益の賠償義務が生じうる。 他方、法律的制約とは、裁判所が公序良俗(民法90条)や消費者契約法10条のような強行法規を用い、直接的に契約内容を規制する場合を指す。サブリース契約における賃料減額請求権を事実上排除する条項の有効性を巡り、最高裁判所が下した一連の判決(最判平15.10.21等)において、当事者の合意が借地借家法という強行法規の趣旨によっていかに制約されるかが示されている。法適用の回避を目的としたスキーム(いわゆる脱法行為)の有効性評価は、この文脈に属する。

次に、内在的制約について述べる。これは解釈者が契約の性質や文言を吟味し、当事者の意思を内部から規律するものである。 当事者が自らの契約を売買と名付けた場合であっても、裁判所はその経済的機能や実質が担保の提供にあると認めれば、それを譲渡担保と性質決定し直す。これは契約類型の本質によって、当事者の表明した意思が訂正される局面と言える。フランス破毀院がクロノポスト判決で、迅速な配達という運送契約の本質的債務に反する責任制限条項を無効とした判断には、同様の構造が見られる。 契約書に明記がない場合であっても、裁判所は信義則(民法1条2項)に基づき、一方当事者が相手方に対して情報提供義務や説明義務といった付随的義務を負うと判断することがある。これは、解釈を通じて、合意の外部にある信義という一般条項を契約関係に適用し、当事者の自由を制約することである。

契約自由の原則が単独で存在するのではなく、常に他の規範との関係の中で機能すると理解すべきである。研究者は、それが外在的/内在的な規範群により多層的に制約される様相を分析してきた。そして、これらの制約の根拠をさらに深く探求するとき、当事者の自己決定権の保護取引の安全弱者保護、あるいは契約正義といった、さらに上位の価値理念の対立を捉えることができ興味深い。