精神病理学的日本論

こころの不調を語ろうとすると、話はきまって脳という臓器の機能不全へや、個人を取り巻く環境や文化の歪みへと向かう。(セロトニンが足りないとか、ストレス社会が悪いとか。)

大体の議論は↑にまとめられるが、その例外に木村敏の分析があり、ここで概要を取り上げる。

彼が注目したのは、個人そのものではなく、人と人との「あいだ」に生まれるものだった。

西洋的な考え方では、まず確固たる「私」がいて、それから他者と関係を結ぶ。しかし木村によれば、日本人の自己はそうではなく、むしろ相手との関係性、その「あいだ」のあり方によって、そのつど「私」が規定されていくのだという。僕らが自分を「ぼく」と呼ぶか「わたし」と呼ぶかさえ、相手との関係で決まってしまうように。

だから、対人恐怖症のような症状は、個人の心の弱さというより、この「あいだ」そのものが病んでしまった状態として理解される。(自己のありかが自分の中にではなく、常に他者との間に晒されていることの苦しみとして)

分析の射程については、精神医学や精神病理学に加えて哲学、言語学、文化人類学、社会学といった分野を含んでいる。一読を勧めたい。

木村敏. (1972). 『人と人との間 精神病理学的日本論』. 弘文堂.