刑法における判例と学説の対立

刑法判例百選Ⅰ総論・Ⅱ各論(第8版)の全231判例を通読し、判例と学説の対立を整理した。対立の全てを列挙するのではなく、結論に大きな差が出るものとそうでないものに分けて構造的に把握することを試みる。

結論が変わる対立

判例と学説のどちらに立つかで、有罪か無罪か、あるいは適用される罪名や法定刑が根本的に変わる対立がある。司法試験の答案でいえば、ここを落とすと結論が逆になる。

犯罪の成否が分かれるもの

最も鋭い対立は、判例が犯罪の成立を認めるのに対して学説の多数がこれを否定する(あるいはその逆の)場面である。

総論では、刑罰法規の解釈の限界が正面から問われる。旧鳥獣保護法の「捕獲」の意義(Ⅰ-1)において、判例は捕獲行為説を採り、狙ってカモに矢を射かけただけで捕獲にあたるとしたが、学説は現実捕獲説から未遂規定のない当時の法のもとでは不可罰とする。「捕獲」の日常的な語義からすれば学説に理があり、のちの法改正で未遂規定が設けられたことがそれを裏づけている。

法定的符合説と具体的符合説の対立(Ⅰ-42)も結論に直結する。判例は法定的符合説に立ち、Aを狙って発砲したところBにも命中した場合にAに対する殺人未遂とBに対する殺人既遂の双方を認めるが、具体的符合説ではBに対する殺人の故意が否定され過失致死にとどまる。故意犯の成否と罪名が根本的に変わる。

各論では、胎児傷害の事案(Ⅱ-2)で、判例が母体傷害説と法定的符合説の転用により業務上過失致死罪を認めたのに対し、学説の多数は現行法のもとでは不可罰とし、立法的解決に委ねるべきだとする。胎児と母親を区別する刑法の体系に合わないという指摘は説得的である。

放火罪における公共の危険の認識(Ⅱ-86)も、判例と学説通説が正面から対立する代表例である。公共の危険の発生が構成要件上要求される109条2項・110条において、判例は焼損の認識があれば足り公共の危険の認識は不要とするが、学説通説は認識必要説に立つ。認識がなければ放火罪ではなく失火罪にとどまるのだから、法定刑に天地の差が出る。

犯人蔵匿罪の「犯人」の意義(Ⅱ-117)も同様である。判例は被疑者も含むとする非真犯人説に立つが、学説の支配的見解は「罪を犯した者」の文言から真犯人説を採る。犯人蔵匿罪の成否そのものが左右される。

不法原因給付物の横領(Ⅱ-63)では、判例が横領罪の成立を認めるが、昭和45年の民事大法廷判決以降、横領罪を否定する見解が学説で多数化しており、判例の先例としての価値自体が問われている。判例と現在の学説多数が正面から対立する、やや特殊な状況にある。

フォト・コピーの文書性(Ⅱ-88)では、判例が有印公文書偽造罪の客体性を肯定するのに対し、消極説が近年有力化している。意思・観念の表示の有無や罪刑法定主義の観点から、文書性を否定する見解には相当の理由がある。

このほか、死者の占有(Ⅱ-29)では窃盗罪(10年以下)か占有離脱物横領罪(1年以下)かで法定刑に10倍の差が出る。判例は殺害犯人との関係で生前の占有を拡張するが、学説の多数は死者に占有なしとして後者にとどめる。

罪名が変わるもの

偽装心中(Ⅱ-1)では、判例が殺人罪を認めるのに対し、学説の現在の多数は自殺関与罪にとどめる。死刑の可否に直結する。強盗罪の暴行脅迫の程度(Ⅱ-38)では、被害者が実際に反抗抑圧されたかが争点で、判例は不要とするが学説多数は必要とする。強盗既遂か未遂かで量刑が大きく変わる。キセル乗車(Ⅱ-54)では詐欺利得罪(10年以下)か鉄道営業法違反の軽微な罰則かで大きな差が出る。

権利の実行と恐喝罪(Ⅱ-61)も重要で、判例は手段が社会通念上不相当なら恐喝罪(10年以下)を認めるが、否定説は正当な債権がある以上は脅迫罪(2年以下)にとどめる。

総論の共犯と身分(Ⅰ-93〜95)では、65条1項・2項の関係について形式的区別説と実質的区別説が対立する。業務上横領罪に非占有者が関与した場合、判例は65条1項で業務上横領罪の共犯を認めたうえで2項により横領罪の刑を科すが、実質的区別説からは横領罪の共犯の成立にとどまるとされ、罪名が異なる。事後強盗罪の共犯(Ⅰ-95)でも、真正身分犯説と不真正身分犯説で非身分者の科刑が変わりうる。

判例と学説多数で結論が逆転するもの

珍しい類型として、訴訟詐欺(Ⅱ-56)がある。本件で判例は被欺罔者に処分権能なしとして詐欺罪を否定したが、学説多数は裁判所に処分権限ありとして肯定する。また、公務員職権濫用罪の盗聴事件(Ⅱ-111)でも、判例が成立を否定し、学説の有力な見解が成立を主張するという、通常とは逆の構図がみられる。

結論に大きな差が出にくい対立

判例と学説の間で理論構成や根拠づけに違いはあるものの、当該事案では同じ結論に至るか、実務的な差が小さいものが、実は全体の大半を占める。総論においてはこの傾向が各論以上に顕著である。

因果関係論

総論で最も大きな理論的対立の一つが因果関係論である。学説は相当因果関係説(折衷説・客観説)を長く通説としてきたが、判例は柔道整復師事件(Ⅰ-12)以降、行為の危険性が結果に現実化したかという「危険の現実化」の枠組みに移行した。大阪南港事件(Ⅰ-10)では、被告人の暴行により死因が形成されていれば、その後に第三者が暴行を加えて死期を早めても因果関係は否定されないとしたが、この結論は折衷説からは説明が困難であり、理論構成の違いが顕在化している。もっとも、判例に現れた事案の大半では、いずれの説を採っても結論は変わらない。

正当防衛と過剰防衛

正当防衛の急迫性をめぐって、判例は積極的加害意思がある場合に急迫性を否定するとしてきた(Ⅰ-23)が、平成29年決定では「対抗行為に先行する事情を含めた行為全般の状況」による判断に拡張した。従来の積極的加害意思論との関係について学説は様々に分析するが、侵害を予期して積極的に臨んだ者に正当防衛を否定するという結論自体に大きな相違はない。

防衛行為の相当性(Ⅰ-25)でも、武器対等の原則を形式的に適用する考え方を判例が実質化ないし放棄したことは学説から歓迎されており、素手の攻撃者に対して包丁を構えて防御的に対応した行為を正当防衛としたこと自体に異論は少ない。

過失犯の構造

予見可能性の意義(Ⅰ-51〜53)をめぐる危惧感説と具体的予見可能性説の対立は理論的には鋭いが、危惧感説を採用した判例はなく、具体的予見可能性を要求するという基本線では一致している。その「具体性」の程度について、因果関係の基本的部分の予見で足りるとした札幌高裁昭和51年判決や、火災発生の可能性の予見で足りるとした生駒トンネル事件(Ⅰ-53)の判断は、学説からも概ね支持されている。

信頼の原則(Ⅰ-54)についても、交通法規に従った運転をする他の車両の存在を信頼してよいという基本的な考え方に争いはなく、対立は適用の限界事例に集中している。

共謀共同正犯

共謀共同正犯の可否は、かつて判例と学説の間で最も激しく争われた論点の一つであったが、練馬事件(Ⅰ-75)以降の判例の蓄積とスワット事件(Ⅰ-76)による黙示の共謀の承認を経て、学説の多数も共謀共同正犯を受容するに至った。現在の対立は、共謀共同正犯の成否を分ける基準、すなわち正犯と共犯の区別に移っている。判例が正犯意思を重視する傾向にあるのに対し、学説は客観的な寄与の重要性を強調するが、多くの事案で結論は一致する。

原因において自由な行為

原因において自由な行為の理論的基礎をめぐっては、構成要件モデルと責任モデルが対立する(Ⅰ-37〜39)。構成要件モデルは原因行為を実行行為と位置づけ、責任モデルは責任判断の時点を遡及させるが、飲酒酩酊による犯行という典型的な事案では、いずれの説を採っても過失犯の限度で処罰可能という結論に差異はない。

保護法益論の違い

各論では、住居侵入罪の保護法益(Ⅱ-16)における意思侵害説と平穏侵害説が教科書的な対立として知られるが、管理権者の意思に反する立入りが同時に平穏を害する場合がほとんどであり、結論が分かれるのはセールスマンの立入りや違法目的の入店といった限界事例に限られる。脅迫罪の罪質(Ⅱ-11)でも、意思決定の自由と私生活の平穏のいずれを保護法益とするかで議論があるが、「一般に人を畏怖させるに足りる」害悪の告知が脅迫であるという実質的判断に大差はない。

監禁罪(Ⅱ-10)の可能的自由説と現実的自由説の対立も、意思能力のない幼児であっても事実上の移動能力があれば客体になるという結論では一致する。

理論構成の精緻化

名誉毀損罪の真実性の錯誤(Ⅱ-21)は、故意阻却か違法性阻却か処罰阻却かで理論構成が異なるが、「相当の理由ある誤信なら不処罰」という結論はほぼ共通している。理論的にはどの体系的位置づけが正しいかという問題だが、実際の事案処理に影響が出る場面は限定的である。

横領罪の不法領得の意思の定義(Ⅱ-66)も、利用処分意思の要否で領得行為説と越権行為説が対立するが、純粋な毀棄・隠匿目的の横領事案は実際には稀であり、多くの事案で結論は一致する。

事案の悪質性が明らかなもの

暴行によらない傷害(Ⅱ-5)では、1年半にわたる継続的騒音という悪質性が顕著であるため、実行行為性の理論的な限界についての議論はあっても、結論として傷害罪を肯定することに異論は少ない。事後強盗罪の窃盗の機会(Ⅱ-43)でも、いったん安全圏に離脱したことが明らかな本件事案では、いずれの判断基準でも機会継続性が否定される。

同時傷害の特例(Ⅱ-6)の適用方法についての対立は理論的に重要だが、本件では結論として被告人全員に責任を認める点で一致している。ただし、この論点が異なる事実関係のもとで再び問題になる可能性はある。

境界領域

結論に差が出にくいとはいっても、事実関係が少し変われば対立が顕在化する論点がある。

総論の境界領域

違法性の意識の要否(Ⅰ-48)は、判例が不要説に立つとされてきたが、昭和62年決定は「相当の理由があれば犯罪は成立しないとの見解の採否」について判断を留保した。判例が違法性の意識の可能性を要求する方向に転じる余地を残しており、将来の判例変更の可能性が示唆されている。現時点では結論に差は生じていないが、相当の理由が認められる事案が出れば対立が顕在化する。

承継的共同正犯(Ⅰ-81・82)については、傷害罪では最高裁が平成24年決定で否定したのに対し、詐欺罪では平成29年決定で肯定した。欺罔行為と受領行為の一体性という詐欺罪の構造的特徴がその理由とされるが、この区別の射程は未だ明確でなく、強盗致傷罪など他の犯罪類型でどこまで承継が認められるかは今後の課題として残されている。

中止犯の任意性(Ⅰ-69)をめぐる主観説・客観説の対立も、判例が事案ごとに柔軟に判断しているため基準は流動的である。判例は中止犯を肯定する際に限定主観説的な事実認定(反省・悔悟など)を行ってきたが、近年はそうした認定を伴わずに任意性を肯定する裁判例が増えており、基準自体が変容しつつある。

過失の共同正犯(Ⅰ-79)は、平成28年決定で最高裁が「共同義務の共同違反」を要件として成立可能であることを示したが、本件では共同義務が否定されて成立が認められなかった。どのような場合に共同義務が肯定されるかの基準は未だ判例上確立しておらず、今後の展開が注目される。

各論の境界領域

盗品保管罪の知情の時期(Ⅱ-76)は、判例が継続犯説から知情後の保管に成立を認めるのに対し、否定する状態犯説が有力化している。現時点では判例の立場が実務で定着しているが、理論的な緊張は高い。

職務行為の適法性の判断基準(Ⅱ-113)における行為時基準説と裁判時基準説の対立は、誤認逮捕の事案で結論が逆転しうる。行為時基準説(判例・通説)では適法な逮捕に対する暴行として公務執行妨害罪が成立するが、裁判時基準説では違法な逮捕に対する正当防衛が認められうる。本件の事実関係では行為時基準説が妥当な結論を導くが、この対立が先鋭化する事案は十分に想定できる。

共犯者による犯人蔵匿罪(Ⅱ-121)では、判例が103条と104条の罪質の相違から犯人蔵匿罪の成立を認めるのに対し、自己の証拠隠滅として不可罰とすべきだとする見解が有力である。可罰か不可罰かが分かれるため、本来は「結論が変わる対立」に分類すべきかもしれない。

所感

全231判例を通してみると、総論と各論では対立の現れ方に質的な違いがある。各論では判例と学説が結論レベルで鋭く対立する事案が全体の4分の1ほどを占め、有罪か無罪か、殺人か傷害致死かといった具体的な帰結に直結する。これに対して、総論では理論構成の違いにとどまる対立が大半であり、結論に直結するものは相対的に少ない。総論の議論が犯罪の成立要件という抽象度の高い問題を扱うために、具体的事案の結論よりも体系的整合性が争われることが多いからだろう。

しかし、総論における理論構成の違いが重要でないわけではない。因果関係論における相当因果関係説と危険の現実化説の違いは、大阪南港事件のような事案で初めて結論の差として現れた。承継的共同正犯の可否は、特殊詐欺の受け子という現代的な犯罪類型において急速に実務上の重要性を増した。違法性の意識の要否に関する判例の態度の留保は、将来の判例変更への含みを残している。理論構成の違いは、それが問われる事案が現れたときに、結論の違いとして顕在化するのである。

各論についても同様のことがいえる。死者の占有の問題で殺害後の時間経過が長くなれば、窃盗罪と占有離脱物横領罪の区別は現実の問題となるし、放火罪の独立燃焼説と効用喪失説の差は、難燃性建造物が普及した現代においてますます意味を持つ。

結局のところ、判例を正確に理解した上で、それがどのような事実関係を前提としたものであり、どこまで射程が及ぶのかを見定めることが重要であるように思う。理論的な対立の意味を知ることは、判例の射程を測るための道具を持つことに等しい。全231判例を通読して改めて感じたのは、判例と学説の対立は単なる見解の相違ではなく、法がどのような事実関係にどのような規範的評価を与えるべきかという問いへの、異なる角度からの応答であるということである。