論証の暗記

法学部の試験対策として、判例・通説のエッセンスを圧縮した定型的な文章を覚えて答案に書き写す学習法が広く行われている。たとえば公共の福祉が問われれば、一元的内在制約説を書いて比較衡量に持ち込み、法人の人権であれば社会的実在性を理由に権利の性質上可能な限り認められるとし、私人間効力であれば間接適用説を書いて民法90条の適用に流す。こうした定型文は論証と呼ばれ、中級者を自認する学生の多くはこの論証を精確に再現することに学習時間の大半を費やしている。

宍戸常寿『憲法 解釈論の応用と展開』は、この学習態度がなぜ通用しないかを、具体的な憲法解釈の題材を通じて示した教科書である。以下では、論証暗記が破綻する三つの局面を取り上げる。

定式が機能しない場面

一元的内在制約説は、公共の福祉を人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理と定義し、すべての人権に論理必然的に内在するとする。この定式は、人権制限の根拠を問われたときにとりあえず書いておけば安全だとされてきた。

ところが、懲役刑に処せられる者が刑事収容施設に拘禁されることは居住移転の自由の侵害か、という問いを立ててみると、この定式は即座に行き詰まる。拘禁と矛盾・衝突する人権とは何なのか。犯罪者が市中をふらつかない平穏な環境で暮らす国民の権利をでっち上げればかろうじて定式に載るが、それを通常の語感で人権と呼べるかは疑わしい。芦部信喜自身が、公務員の人権制限の根拠を、憲法が公務員関係の存在と自律性を憲法秩序の構成要素として認めていることに求めており、これが他の人権と矛盾・衝突するものではないことは明らかなので、定式は提唱者においてすら一貫していない。

判例における公共の福祉の用法も一定していない。食料緊急措置令事件では人権ならざる公益が公共の福祉とされ、全逓東京中郵事件では国民生活全体の利益の保障が内在的制約だとされた。第1次家永教科書訴訟や森林法事件になると、公共の福祉は制限が合理的で必要やむを得ない限度であることの結論を述べるラベルにすぎなくなっている。つまり、定式を暗記して答案に書いたところで、実際の判例の分析にはまったく役立たない。

この定式を暗記する代わりに必要なのは、人権の制限根拠は人権相互の矛盾衝突の調整に限られないこと、そしてある法益が当該人権を制限する根拠たりうるかどうかを具体的に検討すること、という問題の構造そのものの理解である。

事案分析を殺す論証

論証の暗記がとりわけ有害に作用するのは、覚えた定型文を書くことで事案の具体的な検討が素通りされる場面である。

私人間効力の問題を例にとる。通説とされる間接適用説の論証は、憲法の人権条項を私人間に直接適用することはできないが、民法90条等の一般条項を通じて間接的に適用する、というものである。この論証を暗記した学生は、不法行為の事案でも契約関係でも団体と構成員の関係でも、とにかく同じ論証を書いてから、私人それぞれの人権を等価値的に利益衡量するという型に流し込もうとする。

しかし実際の判例を見ると、この型はほとんど使われていない。三菱樹脂事件では私的自治を原則として、元学生の思想信条の侵害が社会的許容限度を超えるかどうかを検討しており、人権同士の等価値的衡量は行われていない。エホバの証人輸血拒否事件では、人格権という私法上の権利が直接に認められており、間接適用説の出る幕がない。国労広島事件や南九州税理士会事件に至っては、最高裁は間接適用説にまったく言及せず、団体の性格や目的の範囲から協力義務の限界を導いている。

間接適用説の論証を暗記した学生が見落としているのは、契約関係では私的自治の原則が憲法上の要請でもあること、不法行為の領域では人格権が私法上の権利として確立していること、そして団体と構成員の関係では団体の目的・性質に応じた個別の検討が必要であるという、事案の類型ごとに異なる問題構造である。一つの論証ですべてを処理しようとすると、こうした構造がすべて潰されてしまう。

審査基準の手前にある問い

もう一つ暗記学習が破綻しやすいのは、二重の基準論を、精神的自由は厳格審査、経済的自由は緩やかな審査と図式的に覚え、あとは審査基準の当てはめで結論を出せばよいと思い込んでいる場合である。

たとえば信教の自由の事案において、Y市が宗教団体Xに対して破壊的なカルト集団であると広報紙で警告した場合、この警告はXの活動を法的に禁止するものではなく、法的効果を伴う行為でもなく、目的もXへの不利益ではなく市民の安全に向けられたものだと構成しうる。古典的な侵害概念のいずれの属性も欠いているので、そもそも信教の自由の制約があるのかが問題であり、審査基準に到達する以前の段階で議論が必要になる。さらに法律・条例の根拠を持たないこの警告について、法律の留保に違反するかという別の問いも立つ。学生が覚えた、信教の自由→厳格審査→合憲/違憲というフローチャートは、この種の問題に対してはまったく機能しない。

同様の問題は財産権でも生じる。憲法29条2項は「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める」と規定しており、法律の定める内容こそが財産権の中身であるとすれば、立法による制約は観念しにくく、内容の形成しかないことになる。ここでも三段階図式や審査基準を書く以前に、そもそも憲法上の財産権の保護が何を意味するのかを論じなければならず、その論じ方は自由権の場合とは構造的に異なる。

暗記の代わりに何を

いずれの場面でも、論証の暗記が通用しないのは、具体的な事案に含まれる問題構造を同定する作業が暗記では代替できないからである。定式や審査基準は思考を整理するための道具であって、それ自体が答えを生み出すわけではないので、道具の使い方を覚えたところで、何に対して道具を使うべきかを判断する能力は育たない。

著者は判例・通説の怪しげな抜粋を暗記する時間があったら、判例文を読んで友人と疑問を論じ合う方がよほど費用対効果が高いと述べている。判例の事案を正確に理解していれば、新しい事例との類似点と相違点を手がかりに議論を組み立てることができるのだから、判例は暗記の対象ではなく思考の起点になるということであり、本書の全30回にわたる設問はまさにその訓練にあてられている。

参考

宍戸常寿. 『憲法 解釈論の応用と展開 〔第2版〕』. 日本評論社, 2014.